平成夢十夜 第五夜
こんな夢を見た。
激しく降った雨がやんだ月末。曜日が土曜日に変わって数時間、そろそろ今日は仕事納めにしようと思い、メーターの表示を「回送」に変更した。
家までの道の半ば頃まで来た所で、薄暗い歩道で白い服を着た人がこちらに手を掲げているのが見えた。
そのまま通りすぎようかとも思ったが、近づくとそれが若い女性であることがわかったので、変な人でもなかろうというのと、困っていては気の毒だと思い車を止めた。
「帰り途中なので、こっちでよければお乗せしますが、どうしますか」
「お願いします、ありがとうございます」
そういって女性は後部に乗り込んできた。髪は茶色く染められて、肩までの長さで切りそろえられている。白い、丈が短めのワンピースから黒いタイツの細くて長い足が伸びている。シンプルで品のいい、茶色い革の鞄を持っている。顔立ちは整っているが、少し頬に幼さも感じる、20代前半だろうか。
「よろしくお願いします。どちらまで行かれますか」
「運転手さん、料金は私の体でお支払いします、と言ったらどこまで行かれますか」
変なことを言う女性だ。おかしなことを言わないでください、そう返そうかしたが、せっかくの今日最後のお客さんだし、少し付き合うか、と思い直した。
「そうですね、お客さんだったら、天国までいけちゃいそうですね」
「じゃあ天国までお願いします、ナビに入れて下さいますか」
「わかりました」
そういってナビを操作する。しかし、天国に該当する地名は見当たらなかった。
「お客さん、ナビでは天国までは行かれないようです」
「そうですか、ではこのまま進んでください」
本当に体で払うつもりだろうか、お金は無事にもらえるだろうかという不安はよぎったが乗りかかった船なので、そのまま進んでみた。何かあればそこで止めればいい。どうせ帰り道だ。
「お客さん、どのくらい行けばいいでしょう」
「これで天国に向かっているのかしら」
「さあ、どうでしょう」
「ねえ、運転手さん。もしかしてお代を支払うのは目的地に到着してからでしょうか。
そうすると、私の体で天国に登らせてあげるのは、到着した後だから、その前に天国まで行くことはできないかもしれない」
女性客は額に指を当てて考えながら言った。
「そうですね、でももしかしたら想像しただけでも私は天国に到達したような気持ちになるかもしれません」
「ところで、想像すれば天国にはいかれるんでしょうか。みんなが言う所の、よく言う天国に」
「さあ、どうでしょう。でも天国を想像できないような人は天国に行かれないんじゃないでしょうか」
「想像か。誰が一番最初に天国をソウゾウしたのかしら」
「さあ、どうでしょう。でも私は思うんですが、想像できない物事の方がよほど面白いんじゃないでしょうか。想像できる範囲のことは限られています。その範囲の中に収まるものは意外性も何もないですからね。生きてると想像もしてなかったようなことが起こりますよ。だから生きるのは面白いんだと思います」
そんなことを考えたのは初めてだったが、普段から考えていることであるかのように言葉がすらすらと出てきたことに自分でも驚いた。
「それもそうね、そうしたらここで止めてください」
「かしこまりました」そう言って車を歩道側に寄せた。10mほど先にコンビニがあり、そこからの光が指している。
「お代はいくらかしら」
「3,780円です」
「今日の出来事は運転手さんにとって想像を超えたものだったかしら」
緑の革財布を開きながら女性客は尋ねた。
「どちらかといえばそうかもしれませんね」
彼女はしばらく額に指を当てて考える様子を見せてから、1万円札を差し出し
「お釣りはいらないから取っておいてください」と言うと、さっと車から降りて、そのままコンビニとは逆側に歩いて行った。
私は、結局天国には行けなかったが、この方が幸せかもしれない、と呟いて家に向けて車を走らせた。