万夜一夜物語

万夜一夜物語(よろずやいちやものがたり) 自分の思考や気持ちを整理して記載していくブログです。自分を前に進めるために、残していくために。

6週間の小さないのちと感謝 ひまりが綺麗な星になれますように

僕と妻の間にできた、初めての新しい命は、6週間足らずでその一生を終えてしまったらしい。とても悲しいことで、その子のことと、妻のことを思うと久しぶりに涙が溢れて止まらなくなった。

考えるのも、短い間にもあった、色々なことを思い出すのも、悲しい気持ちにはなってしまうけど、一度書き出しておこうと思う。

自分の気持ちを整理するために、そして何よりも、僕達の元に来てくれた命に感謝し、それをずっと忘れないようにするために。

ここまでの6行でも、涙が出たし、ここから下でも出るのだろうし、読み返すたびに、色々なことを思い出して、溢れだして、涙が流れるのだろうけど、それすらも、新しい命がくれた、ひとつのプレゼントだと思う。だから、できるだけ、今の気持ちを、今しか書けないものを残しておこう。

 

きれいに構成を整えたり、読みやすくしたりするよりも、思うままに書こうと思う。今僕に必要なのは、そして後に残しておくべきものは、そういうもののはずだから。

 

僕と妻は、その子のことを「ちびまりちゃん」と読んでいた。妻の名前の一部をとってのことだ。これはその子が出来る前から決まっていた。妻が子供を欲しがる時に「ちびまりちゃん」という言葉を使っていたからだ。

 

ちびまりちゃんが、妻のお腹の中にいることがきちんとわかったのは、10月14日のことだった。妊娠検査キットで2回、妊娠の反応が出た後、2回産婦人科に行ってわかったことだった。産婦人科に1回めに行った際には、小さすぎてわからないということだった。

10月14日時点では妊娠6週間ということだった。

 

僕たちは8月の末に、妻がずっと行きたがっていた、長崎のハウステンボスに行っていた。恐らくその時に、ちびまりちゃんはできたのだろう。

 

今思えば、1回めに産婦人科に行った際に、”小さすぎてわからなかった”というのも、おかしかったのかもしれない。でも初めてのことだったし、とにかく、新しい命ができたことは、自分にとっても妻にとっても大きな出来事だったし、とても嬉しいことだった。

 

その日に久しぶりに、創作文を書いた。赤ちゃんが出てくるものと、妻が出てくるものだった。親になる、という自覚が自分の心に作用していたんだと思う。

 

妻はその日のうちに母子手帳を貰ってきていた。初めての母子手帳を二人で眺めた。他にもいくつかの出産から育児に関する書類も同封されていた。

その時は、妊娠初期に関するものだけにしっかりと目を通した。そこから先の内容は、あとでいくらでも読む時間はあると思ったし、何度も読みたくなるだろうと思っていた。

 

ちびまりちゃんが生まれたあとの名前を二人で考えた。

男の子だったら、女の子だったら。冗談を言いながらもいろんな候補やこだわりを話した。僕たちは、なんとなくちびまりちゃんは女の子なんじゃないか、と考えていて、女の子の名前を中心に考えていた。

 

僕はもともと、名前にあった人に育つという考えがあって、意味のある名前を付けたかったが、あれこれ話しているうちに、妻が提案した、ひらがなの名前がいい、という結論になった。

いくつかの名前を考える中で、子供ができるずっと前に妻がつけたいといっていた「ひまり」という名前が、ひらがなだと、とても可愛らしい、という話になり、女の子だったら、「ひまり」という名前をつけようと決めた。男の子だったらまた考えればいいか、かっこいい名前を人につけてもらってもいい、ということになり、名前の話はそこまでになった。

 

結局6週間だったから、ちびまりちゃんが男の子か女の子かはわからないけど、今日僕らはその子に、もともと決めていた「ひまり」という名前をつけた。僕達の苗字のよこに、ひまりという名前を添えた。とても可愛らしい名前だと思う。

 

母子手帳のカバーも買った。妻と一緒に、東京スカイツリーに散歩に行った時に、どんぐり共和国に行き、妻が気に入っていた「となりのトトロ」の母子手帳カバーをプレゼントした。家に帰ってすぐに、彼女は手帳をカバーに入れていた。区から貰った検診の補助券は入らなかったけど、大事な手帳はしっかりと収まった。少しフワフワとした、軟らかい布地のカバーで、トトロの絵がとても可愛かったし、なんだか温かい印象のあるものだった。

 

Iphoneの写真フォルダの中に、それを買う少し前にとった妻とスカイツリーが映っている写真がある。とても幸せそうな顔をしている。妊娠がわかってから、今日までに僕が撮った妻の写真はそれだけ、撮っておいてよかったいい写真だと思う。

 

10月の末になって、妻の出血が少しひどくなった。病院に行くと、10日間安静と言われた。妻は仕事を休み、家でずっと安静にすることにした、すごく不安そうだった、僕は仕事を定時であがってできるだけ早く家に帰るようにした。果物を多く買って、柿を剥いた。食事の支度をしたり、必要な物を買って帰ったり、洗い物をしたりした。本当は洗濯もするはずだった、掃除も、それ以外にも色々と。妻が僕の母に電話をして、僕の母が妻を剥げました。妻の母は仕事の休みの日に、わざわざ家まで来てくれて、シチューと煮物を作ってくれた。他にもご飯を炊けさえすればひと通りの食事はできるように、いくつかの食材を用意してくれた。来週も、妻の母は家に来てくれる予定だった。

 

 

家で安静、ということでずっと寝室でで寝ていなくてはいけない妻は暇そうだったし、心配も多かっただろうし、寂しいだろうし、気の毒だった。

 

家では、少し漢字の勉強をしたり、DVDを見たり、僕が紹介したココナラで出品するサービスを考えたりもしていたようだけど、それにもまして、不安からか、妊娠について色々なことを調べたようだ。そして、インターネット上で他の病院の情報を見たり、自分の血がなかなか収まらないことから、妻は今の"10日間安静"が本当に正しい対応なのかに疑問を持ったようだった。

彼女は10月の最終日である31日、職場にいた僕に電話をかけてきて、心配だから別の病院にも行ってみる、明日予約を入れたから一緒に行ってくれるか、と聞いた。

 

僕は妊娠初期の出血はそんなに珍しくないと調べて思っていたし、医者のいうことを素直に信じるたちなので、今のままでも良いと思っていたが、他の医師の話をセカンドオピニオン的に聞くことで、不安が解消されて落ち着くならそれも良いだろうと思って、ついていくことにした。

 

そして今日11月1日に妻と僕は病院に行った。タクシーを使って行った所思いの他すぐに付いたので想定よりも早かったが、病院には既に先客もいて、結構混雑していた。

僕は妻の横に座って、持ってきた夏目漱石の「こころ」を読んでいた。

僕達より先に来ていた赤ちゃんは、何かのアレルギーが出てしまっているようだった。お会計をしている母親の背中におぶわれた赤ちゃんの手と足が僕と妻から見えていた。手のひらですっと包み込めるような、とても小さくて可愛い手と足だった。僕は漠然と、ちびまりちゃんも生まれたら、こういう時期もあるんだろうなあ、と思っていた。

「可愛いね」というと妻も笑顔で頷いていた。アレルギーが痒くて可愛そうだね、と小声で話した。

 

1時間と少し待った11時ころ、妻の診察の番になった。妻は一人で診察室に入っていった、僕は変わらずこころを読んでいた。

診察室のドアがそこまで厚くないからか、妻の声が少し聞こえた。何を言っているのかはもちろんわからない、がこれまでの人はそこまで大きな声ではなかったので、何かあったのかな、と少し気になった。が、しばらくすると笑い声も聞こえたので、そんなに心配しなくてもいいか、と思った。

(今思えば、妻は気丈に振る舞って、自分を元気づけようとしていたのだろうし、先生も気遣って、そういう気持ちになりやすいようにしてくれていたのだろう)

 

しばらくすると診察室から妻が出てきた。支払いとかやっておいてと言って、そのまま外に出ていった、目は潤んでいた。さっきの談笑は何だったんだろう?何かあったのか?嫌なことがあった?それとも何か検査が痛かっただけ?状況がよく理解できず、かつ僕の頭はあまり良く回らず、どの結論にも辿り着かないまま、もう一度椅子に座っていた。

 

受付の人が「本人がいない」というようなことを言っていた気がしたので、妻の所にいって声を掛けた。妻は誰かに電話をしていたようだった。

妻は「ダメだった」と僕に言った。ようやく僕にも状況がわかった。

受付に行くと、妻は事前に知っていたようだったが、明日流産の手術で、今日の夜に再度その準備でここに来る必要があるようだった。

受付の人は何も言わなかったが、どことなく、妻に対する気遣いがあるようだった。

僕はただ、妻を支えないと、と強く思った。その時はまだ悲しくなかった。

 

病院を出ると雨が降っていた。雨の中タクシーが拾えそうな道まで歩いて行った。頭はあまり回っていなかったのかもしれない、何も考えずに歩いた。

しばらくするとタクシーが拾えた。行き先を告げると、感じの良い運転手さんが車を走らせてくれる。

タクシーに乗って座ると、一気に悲しさがやってきて涙が流れてきた。外が雨で濡れていたのが幸いして、恐らくそれほど泣いていることは外からはわからなかっただろうと思う。声を出さずに、タクシーの中で、ひまりと妻のことを考えながら僕は泣いた。

 

何がいけなかったのだろう、僕はもっとどうすればよかったのか、僕の行いの悪さで罰が当たったのか、ありきたりだがそんなことを考えた。当然ながら誰にも問を発していない以上、誰も答えてはくれなかった。

 

家に入ると妻と抱き合って泣いた。妻は思っていることを話した。

いくらでも話していくらでも泣けばいい、と思った。

妻はお腹の中のエコー写真を貰ってきていた、とても小さいものがそこには写っていた。それを見た時に涙の量が一気に増えた。これが僕達の子供なんだ、と思った。

 

少し落ち着くと流産について調べてみた。自分が思っていたよりもずっと流産の確率は高くて、10人に1人以上は流産になる、生涯で流産を経験する女性は40%近くになるという情報も書いてあった。

そしてその原因の多くは、染色体異常にあるということだった。ひまりも恐らくそうなのだろうという話が先生からあったそうだ。染色体の異常の要因は様々あるものの、健康的な男女であっても、それなりの確率で発生してしまう。そして大半の流産は母体がどうこうというよりは、胎児の染色体異常によって引き起こされるということだった。

この情報は僕の気持ちを軽くしたし、妻の気持ちも軽くなるだろうと思って彼女にもしっかりと伝えた。別に誰が悪いわけでもない、誰にでもそういう可能性はある。とても悲しいことだけど、ひまりは、誕生した時から、6週間の寿命だったのだ。

 

妻から聞くと、ひまりは6週間位の大きさのまま、もう心拍も聞こえないということだった。彼女の生は僕らが気づくか、気づかないかの頃に終わってしまっていたのだ。もっと声を掛けてあげればよかった。

 

明日は午前中から流産の手術だ。妻は婚約の時に送った指輪をつけていくと言う。彼女が持っている中で一番輝きのある綺麗な指輪だ。普段は使わず特別な日にしか付けない。ひまりが、綺麗な星になれるように、ということで一番キラキラした指輪をつけるということだった。

 

そして、明日11月2日をひまりの誕生日にしようと二人で決めた。水子供養なんかをするんじゃなくて、誕生日ケーキを買って、メッセージを入れてもらって、初めての子供のお誕生日をお祝いすることにした。

明日妻が手術を受けて、しばらく安静にしている間に僕が買いに行く。プレートに「ちびまりちゃん、お誕生日おめでとう」と入れて貰う。

今年だけじゃなくて、僕達が生きてる限り、ずっとお祝いしようと思う。変にそこに囚われるというようなことではなくて、ただ、記念日をお祝いする。ひまりに感謝して、お祝いする日にできればいい。

 

夜妻が寝てから、彼女のお腹に手を当てた。もう生きていないのかもしれないけど、ひまりが自宅で、彼女のお腹の中で過ごすのは今日が最後だと思うと、また涙が流れてきた。妻が寝ているので、声には出せなかったが、心のなかで、「生まれてきてくれてありがとう」と「大きく育ててあげられなくてごめんね。もっとたくさん話しかけてあげられなくてごめんね」と伝えた。

 

妻の鞄から、ひっそりと母子手帳を取り出し、トトロのカバーに包まれたそれを抱いて、また泣いた。中身を開いて、写真とを眺めた。妻は子供の名前と父親の名前を書き足していた。

母子手帳のページをめくると、生まれた後の注意や、想定される成長が書いてあった。ぱらぱらとそれを眺めながら、そこに至ることがなかったひまりのことを考えた。

 

そうして僕は今この文を書いている。何度もひまりと妻のことを考えて涙が止まらなくなった。鼻をかみすぎてヒリヒリするし、机の上にはティッシュが山積みになっている。

 

改めてひまりについて考える。少なくとも8月末から6週間、ひまりは僕らと一緒に生きていたし、今も一緒にいる。妊娠の診断が下る前からも、検査薬反応も出ていたし、きっと妊娠しているんだろうと思っていた。その時その時もそうだったし、未来の事を考えても僕達二人は幸せだった。

そして改めて命の大切さや、新しい生命が誕生するという奇跡の偉大さも知った。

もっと声を掛けてあげればよかったという後悔から、改めて今という時間のかけがえのなさを確認した。後悔のないように、今を精一杯生きよう、周りの人を、妻をもっともっと大切にしようという思いも深まった。

 

ひまりは僕達にとって初めての、掛けがえのない子、命だった。

 

ひまりは間違いなく僕達の初めての子供だ。そして、僕達はひまりの親なんだから、ひまりの分も幸せに生きなくてはいけないし、親として恥じないような生き方をしなくてはいけないと思う。

これから生まれてくる、ひまりの弟か妹は、ひまりの分まで大切にして、幸せになってもらえるように育てようと思う。そしていつか、ひまりのことを話してあげたい。

 

ひまりの命は本当にかけがえの無いものだったし、彼女は僕らの中でずっと生き続けるだろう。もちろん感情とかはまだないのかもしれないけど、それでもひまりにとって、何か少しでもいいことのあった6週間だと良かったと心から願う。

 

もちろん本当は生まれてきて欲しかったし、もっともっとひまりと接したかったし、大きく育って欲しかったし、色々な経験をさせてあげて、幸せに生きて欲しかった。でも、それがかなわないなら、せめて、ひまりが綺麗な星になれるように、という妻の思いに、僕も深く深く共感するし、そうなるといい。

 

ひまりのことは僕と妻にとってとても大きな出来事だったけど、僕らはこれからも生きていく。でも以前とは違って、僕らの心の中にはひまりがいる。常にそのことを大切にして、これからの人生を幸せに支えあって生きていこう、前を向いて明るい未来に、幸せな未来に進めるよう、しっかりと歩いていこう。