平成夢十夜 第四夜
こんな夢を見た。
僕も、周りの人々も、真っ白な防護服を全身に纏っている。そこには一部の隙もない。
歩くと特殊な生地が擦れる乾いた音がする。
服の中は非常に暑い、額から、脇から、背中から、じっとりと汗が流れ続けている。
湿気は外に出て行かないため、蒸し蒸しとした空気が重く、自分の周りにつきまとっている。
白い人々の中心には、ベッドに横たわった妻がいる。
「不治の感染症」それが2日前に妻に下った診断だった。
診断が下された時、妻は既に隔離されていた。
あまりにも残酷な現実と、不安と、寂しさに妻はただひたすら泣いた。
1日、泣いて泣いて泣き続けて、ようやく昨日落ち着いて会話ができるようになったのだった。
余命は1週間もないだろうということだった、実際、2日間に、妻の元気はみるみるうちに失われていった。昨夜から、咳に血が混じるようになった。
僕は全き無力な男だった。愛する妻が死んでいこうとしているのに、直接手をにぎる事もできない。妻もそれは望まなかった。家には小さな子どもがいる。彼女は、まだこの残酷な現実を知らない。
面倒を見に来た祖母に挨拶をして家を出た時、彼女は奇しくも家族の絵を書いていた。
顔と手しかない3人が、幸せそうに笑顔で手をつないでいた。
妻の目を見つめる。妻は口元を少しゆるめて笑顔を見せた後、激しく咳き込んだ。
瞬間、僕は防護服を脱ぎ捨てた、妻の元に駆け寄って、強く強く、その手を握った。これまで何度も何度も繰り返して握ってきた手だった。驚いた妻の目に、瞬く間に涙が溜まっていき、それはすぐに瞳からこぼれ落ちた。僕は赤く染まった彼女の口の周りを腕で拭うと、強く、長く口づけをした。両手を彼女の体に回し、力を込めて抱きしめる。彼女も僕の体に手を回す。
一度口を離し、彼女の目を見たまま、もう一度口をつける。その瞬間、彼女の目が閉じ、背中が震え、血の混じった咳が僕の口に飛び込んできた。
僕はその血を一気に飲み込むと、
「愛してる」
と伝えて彼女をもう一度、強く抱いた。
途端に全身の力が抜け、意識が朦朧とした。
娘が彼女とともに初めて家に来た日の光景が明るく頭に蘇った。
「幸せだね」
笑顔で妻が言う。
「幸せだね」
僕が答える。
「ずっと続くといいな」
少しだけ心配そうに彼女が言う。
「ずっと続くさ」
僕が笑って答える。そして娘の頬に、そして妻の口にキスをする。
娘が泣いた。妻が笑った。僕も笑った。
ふと、冷たい水が僕の額を打った。
「ごめんね」倒れた僕の顔を妻が覗きこんでいた。
僕は首を横に振ると、「愛してるよ」ともう一度、目の前の妻に伝えた。
知らない間に、僕も涙を流していた。時間が、とてもゆっくりと動いているように感じた。
遠くから娘の泣き声が聞こえた気がした。
目を閉じて、目を開けると、そこは公園の原っぱだった。日が赤く、沈みかかっている。
妻は遅めのお弁当を片付けながら、娘が這ってどこかに行こうとするのを止めている。
顔からは全く笑みが絶えない。
僕はそこから少し離れたところに立って二人を見ていた。
秋の風が強く吹いて、妻の長い髪の毛と緑の草と、遠くに見える大きな木の葉を揺らした。
その後で、黄色く染まった木の葉が舞い上がり、3人を包んだ。
僕達3人は、夕日に暖められた木の葉に埋もれ、体を寄せ合い、深い深い眠りについた。