宝くじを買うっていうのは大人になったってことだと思う
以前宝くじについて
宝くじの期待値~金額的なものと心理的なもの~ - 万夜一夜物語
でブログに期待値について書いたが、自分でも先日とても久しぶりに宝くじを買ってみた。
僕は少額だけど当選の確率が高いものや、期待値の高いものよりも、とにかく当選金額が高い宝くじが好きだし、今後もし、同様に宝くじを買うことがあってもそういうものしか買わないだろうと思う。
10万円や100万円があたればもちろん嬉しい、たいした収入だ。でもそれだけ、
もし1億円以上の金額があたったら、それは人生が少し変わると思う。
サラリーマンの生涯年収が2億円~3億円と言われる中で、手取りで一気に数億円手に入れられる、というのは普通に生活していたらなかなかあり得ることではない。
もちろん誰にだって可能性はある、才能を開花させてアーティストになる、事業を成功させて収入を増やす、IPOで一気に大金持ちになる、投資に成功する・・・などなど
でもやはりほとんどの人にとっては、普通に生活をしていたら、生涯年収を超える収入を一気に手取りで手に入れる、ということはありえないことに近い。
だから、純粋な金銭的な期待値は大きくない、買えば基本的にはマイナスだと思っていても、自分の人生が変わる、という夢を見て、宝くじを買う。
逆に言えば、金銭的な期待値が低いのに宝くじを買うのは、ある意味、普通に生活していたらそんな大金手に入らない、と半ば諦めた状態であることが多いのではないか。
若くて、自分の未来に期待を持っていれば、そこに向かって努力したり、その成功の確率を高めるために投資をした方が、ずっと期待値としては大きい。
そこを、宝くじにお金を使う、というのは、損するのはわかっているけど、ひょっとしたら、自分の力では手に入らないような、何かを手に入れたい、という思いがあるんじゃないかな、と思った。
少なくても自分はある程度そうだ、もちろん自分の未来にも投資はするし、もっともっと努力する、世の中に価値を出したいし、収入だって増えるといい、でも宝くじに近い収入を手に入れられる可能性は、結構低い。
そう考えてしまったから、今回宝くじを買った。
ある意味自分に対する夢を諦めて、運によって平等にもたらされる夢にかけるっていうのは、大人げ無いようで、実は現実を知った大人になるっていうことなんじゃないか、と思った。
ちょっとだけ、お酒に飲まれるのと似ているな、とも感じた。