万夜一夜物語

万夜一夜物語(よろずやいちやものがたり) 自分の思考や気持ちを整理して記載していくブログです。自分を前に進めるために、残していくために。

平成夢十夜 第五夜

こんな夢を見た。

 

激しく降った雨がやんだ月末。曜日が土曜日に変わって数時間、そろそろ今日は仕事納めにしようと思い、メーターの表示を「回送」に変更した。

 

家までの道の半ば頃まで来た所で、薄暗い歩道で白い服を着た人がこちらに手を掲げているのが見えた。

そのまま通りすぎようかとも思ったが、近づくとそれが若い女性であることがわかったので、変な人でもなかろうというのと、困っていては気の毒だと思い車を止めた。

 

「帰り途中なので、こっちでよければお乗せしますが、どうしますか」

「お願いします、ありがとうございます」

 

そういって女性は後部に乗り込んできた。髪は茶色く染められて、肩までの長さで切りそろえられている。白い、丈が短めのワンピースから黒いタイツの細くて長い足が伸びている。シンプルで品のいい、茶色い革の鞄を持っている。顔立ちは整っているが、少し頬に幼さも感じる、20代前半だろうか。

 

「よろしくお願いします。どちらまで行かれますか」

「運転手さん、料金は私の体でお支払いします、と言ったらどこまで行かれますか」

 

変なことを言う女性だ。おかしなことを言わないでください、そう返そうかしたが、せっかくの今日最後のお客さんだし、少し付き合うか、と思い直した。

 

「そうですね、お客さんだったら、天国までいけちゃいそうですね」

「じゃあ天国までお願いします、ナビに入れて下さいますか」

 

「わかりました」

そういってナビを操作する。しかし、天国に該当する地名は見当たらなかった。

 

「お客さん、ナビでは天国までは行かれないようです」

「そうですか、ではこのまま進んでください」

 

本当に体で払うつもりだろうか、お金は無事にもらえるだろうかという不安はよぎったが乗りかかった船なので、そのまま進んでみた。何かあればそこで止めればいい。どうせ帰り道だ。

 

「お客さん、どのくらい行けばいいでしょう」

「これで天国に向かっているのかしら」

「さあ、どうでしょう」

「ねえ、運転手さん。もしかしてお代を支払うのは目的地に到着してからでしょうか。

そうすると、私の体で天国に登らせてあげるのは、到着した後だから、その前に天国まで行くことはできないかもしれない」

 

女性客は額に指を当てて考えながら言った。

 

「そうですね、でももしかしたら想像しただけでも私は天国に到達したような気持ちになるかもしれません」

「ところで、想像すれば天国にはいかれるんでしょうか。みんなが言う所の、よく言う天国に」

「さあ、どうでしょう。でも天国を想像できないような人は天国に行かれないんじゃないでしょうか」

「想像か。誰が一番最初に天国をソウゾウしたのかしら」

「さあ、どうでしょう。でも私は思うんですが、想像できない物事の方がよほど面白いんじゃないでしょうか。想像できる範囲のことは限られています。その範囲の中に収まるものは意外性も何もないですからね。生きてると想像もしてなかったようなことが起こりますよ。だから生きるのは面白いんだと思います」

そんなことを考えたのは初めてだったが、普段から考えていることであるかのように言葉がすらすらと出てきたことに自分でも驚いた。

 

「それもそうね、そうしたらここで止めてください」

 

「かしこまりました」そう言って車を歩道側に寄せた。10mほど先にコンビニがあり、そこからの光が指している。

 

「お代はいくらかしら」

「3,780円です」

 

「今日の出来事は運転手さんにとって想像を超えたものだったかしら」

緑の革財布を開きながら女性客は尋ねた。

「どちらかといえばそうかもしれませんね」

 

彼女はしばらく額に指を当てて考える様子を見せてから、1万円札を差し出し

「お釣りはいらないから取っておいてください」と言うと、さっと車から降りて、そのままコンビニとは逆側に歩いて行った。

 

私は、結局天国には行けなかったが、この方が幸せかもしれない、と呟いて家に向けて車を走らせた。

「街の電気屋さん」の提供しているものと競合について考える

1年以上ぶり、ものすごく久しぶりのエントリー。。。また書こう。

 

東洋経済オンラインで「街の電器店さん」が年商10億円を稼ぐ理由」という記事を読んだ。

toyokeizai.net

 

ざっくりと言うと、

・近所に家電量販店ができることになって危機感を抱く
・収益確保のためにコスト削減ではなく、販売価格を上げる
・そのために御用聞きをする
・結果あれこれと頼まれる関係が構築できて価格が高くても買ってもらえる

というような内容と理解した。

これって結局、家電を高く販売しているというよりも(実際はそうだが)、
家電販売以外の色々なサービスを提供して、その対価として(通常の家電販売価格以上の差額分の)金額を受け取っている、という構図なんじゃなのだと考えた。

売ってるものは一緒なのに、なぜ高く売れるのか、といったら商品以外の付加価値をつけてるから。
そしてその付加価値は、御用聞きということでひたすら色々な要望に応えることで生み出されている。

と考えると、この家電量販店が危機に陥るのって
・より安価な家電販売チャネルが栄える
というものに加えて、というよりもむしろ
より強力な御用聞きが近所に現れる
というケースなのかもしれないと思った。

もっと地域に密着した便利屋さんみたいなサービスが出てきたら、
今やっている御用聞きはそれにリプレイスされるか、そうしないために街の電気屋さんは、リプレイスを防ぐためにより電気屋的というよりも御用聞き的な行動を強化するのだろう。

なんだか不思議なものだな、と思った。

保険のセールスとかも近いものかもしれないとも思う。
販売している商品というよりも、その人が発揮している付加価値があるからお金を出してもらえる、という類のものだと。

オフラインの電気屋さんは地理的な近さが意味を持つけど、これがオンラインだと、
スイッチングが容易だし、多くのプレーヤーが等しく購買者にリーチ出来るからこういう差別化は結構難しいのかな、と思う。

という考えたことの整理に。

 

6週間の小さないのちと感謝 ひまりが綺麗な星になれますように

僕と妻の間にできた、初めての新しい命は、6週間足らずでその一生を終えてしまったらしい。とても悲しいことで、その子のことと、妻のことを思うと久しぶりに涙が溢れて止まらなくなった。

考えるのも、短い間にもあった、色々なことを思い出すのも、悲しい気持ちにはなってしまうけど、一度書き出しておこうと思う。

自分の気持ちを整理するために、そして何よりも、僕達の元に来てくれた命に感謝し、それをずっと忘れないようにするために。

ここまでの6行でも、涙が出たし、ここから下でも出るのだろうし、読み返すたびに、色々なことを思い出して、溢れだして、涙が流れるのだろうけど、それすらも、新しい命がくれた、ひとつのプレゼントだと思う。だから、できるだけ、今の気持ちを、今しか書けないものを残しておこう。

 

きれいに構成を整えたり、読みやすくしたりするよりも、思うままに書こうと思う。今僕に必要なのは、そして後に残しておくべきものは、そういうもののはずだから。

 

僕と妻は、その子のことを「ちびまりちゃん」と読んでいた。妻の名前の一部をとってのことだ。これはその子が出来る前から決まっていた。妻が子供を欲しがる時に「ちびまりちゃん」という言葉を使っていたからだ。

 

ちびまりちゃんが、妻のお腹の中にいることがきちんとわかったのは、10月14日のことだった。妊娠検査キットで2回、妊娠の反応が出た後、2回産婦人科に行ってわかったことだった。産婦人科に1回めに行った際には、小さすぎてわからないということだった。

10月14日時点では妊娠6週間ということだった。

 

僕たちは8月の末に、妻がずっと行きたがっていた、長崎のハウステンボスに行っていた。恐らくその時に、ちびまりちゃんはできたのだろう。

 

今思えば、1回めに産婦人科に行った際に、”小さすぎてわからなかった”というのも、おかしかったのかもしれない。でも初めてのことだったし、とにかく、新しい命ができたことは、自分にとっても妻にとっても大きな出来事だったし、とても嬉しいことだった。

 

その日に久しぶりに、創作文を書いた。赤ちゃんが出てくるものと、妻が出てくるものだった。親になる、という自覚が自分の心に作用していたんだと思う。

 

妻はその日のうちに母子手帳を貰ってきていた。初めての母子手帳を二人で眺めた。他にもいくつかの出産から育児に関する書類も同封されていた。

その時は、妊娠初期に関するものだけにしっかりと目を通した。そこから先の内容は、あとでいくらでも読む時間はあると思ったし、何度も読みたくなるだろうと思っていた。

 

ちびまりちゃんが生まれたあとの名前を二人で考えた。

男の子だったら、女の子だったら。冗談を言いながらもいろんな候補やこだわりを話した。僕たちは、なんとなくちびまりちゃんは女の子なんじゃないか、と考えていて、女の子の名前を中心に考えていた。

 

僕はもともと、名前にあった人に育つという考えがあって、意味のある名前を付けたかったが、あれこれ話しているうちに、妻が提案した、ひらがなの名前がいい、という結論になった。

いくつかの名前を考える中で、子供ができるずっと前に妻がつけたいといっていた「ひまり」という名前が、ひらがなだと、とても可愛らしい、という話になり、女の子だったら、「ひまり」という名前をつけようと決めた。男の子だったらまた考えればいいか、かっこいい名前を人につけてもらってもいい、ということになり、名前の話はそこまでになった。

 

結局6週間だったから、ちびまりちゃんが男の子か女の子かはわからないけど、今日僕らはその子に、もともと決めていた「ひまり」という名前をつけた。僕達の苗字のよこに、ひまりという名前を添えた。とても可愛らしい名前だと思う。

 

母子手帳のカバーも買った。妻と一緒に、東京スカイツリーに散歩に行った時に、どんぐり共和国に行き、妻が気に入っていた「となりのトトロ」の母子手帳カバーをプレゼントした。家に帰ってすぐに、彼女は手帳をカバーに入れていた。区から貰った検診の補助券は入らなかったけど、大事な手帳はしっかりと収まった。少しフワフワとした、軟らかい布地のカバーで、トトロの絵がとても可愛かったし、なんだか温かい印象のあるものだった。

 

Iphoneの写真フォルダの中に、それを買う少し前にとった妻とスカイツリーが映っている写真がある。とても幸せそうな顔をしている。妊娠がわかってから、今日までに僕が撮った妻の写真はそれだけ、撮っておいてよかったいい写真だと思う。

 

10月の末になって、妻の出血が少しひどくなった。病院に行くと、10日間安静と言われた。妻は仕事を休み、家でずっと安静にすることにした、すごく不安そうだった、僕は仕事を定時であがってできるだけ早く家に帰るようにした。果物を多く買って、柿を剥いた。食事の支度をしたり、必要な物を買って帰ったり、洗い物をしたりした。本当は洗濯もするはずだった、掃除も、それ以外にも色々と。妻が僕の母に電話をして、僕の母が妻を剥げました。妻の母は仕事の休みの日に、わざわざ家まで来てくれて、シチューと煮物を作ってくれた。他にもご飯を炊けさえすればひと通りの食事はできるように、いくつかの食材を用意してくれた。来週も、妻の母は家に来てくれる予定だった。

 

 

家で安静、ということでずっと寝室でで寝ていなくてはいけない妻は暇そうだったし、心配も多かっただろうし、寂しいだろうし、気の毒だった。

 

家では、少し漢字の勉強をしたり、DVDを見たり、僕が紹介したココナラで出品するサービスを考えたりもしていたようだけど、それにもまして、不安からか、妊娠について色々なことを調べたようだ。そして、インターネット上で他の病院の情報を見たり、自分の血がなかなか収まらないことから、妻は今の"10日間安静"が本当に正しい対応なのかに疑問を持ったようだった。

彼女は10月の最終日である31日、職場にいた僕に電話をかけてきて、心配だから別の病院にも行ってみる、明日予約を入れたから一緒に行ってくれるか、と聞いた。

 

僕は妊娠初期の出血はそんなに珍しくないと調べて思っていたし、医者のいうことを素直に信じるたちなので、今のままでも良いと思っていたが、他の医師の話をセカンドオピニオン的に聞くことで、不安が解消されて落ち着くならそれも良いだろうと思って、ついていくことにした。

 

そして今日11月1日に妻と僕は病院に行った。タクシーを使って行った所思いの他すぐに付いたので想定よりも早かったが、病院には既に先客もいて、結構混雑していた。

僕は妻の横に座って、持ってきた夏目漱石の「こころ」を読んでいた。

僕達より先に来ていた赤ちゃんは、何かのアレルギーが出てしまっているようだった。お会計をしている母親の背中におぶわれた赤ちゃんの手と足が僕と妻から見えていた。手のひらですっと包み込めるような、とても小さくて可愛い手と足だった。僕は漠然と、ちびまりちゃんも生まれたら、こういう時期もあるんだろうなあ、と思っていた。

「可愛いね」というと妻も笑顔で頷いていた。アレルギーが痒くて可愛そうだね、と小声で話した。

 

1時間と少し待った11時ころ、妻の診察の番になった。妻は一人で診察室に入っていった、僕は変わらずこころを読んでいた。

診察室のドアがそこまで厚くないからか、妻の声が少し聞こえた。何を言っているのかはもちろんわからない、がこれまでの人はそこまで大きな声ではなかったので、何かあったのかな、と少し気になった。が、しばらくすると笑い声も聞こえたので、そんなに心配しなくてもいいか、と思った。

(今思えば、妻は気丈に振る舞って、自分を元気づけようとしていたのだろうし、先生も気遣って、そういう気持ちになりやすいようにしてくれていたのだろう)

 

しばらくすると診察室から妻が出てきた。支払いとかやっておいてと言って、そのまま外に出ていった、目は潤んでいた。さっきの談笑は何だったんだろう?何かあったのか?嫌なことがあった?それとも何か検査が痛かっただけ?状況がよく理解できず、かつ僕の頭はあまり良く回らず、どの結論にも辿り着かないまま、もう一度椅子に座っていた。

 

受付の人が「本人がいない」というようなことを言っていた気がしたので、妻の所にいって声を掛けた。妻は誰かに電話をしていたようだった。

妻は「ダメだった」と僕に言った。ようやく僕にも状況がわかった。

受付に行くと、妻は事前に知っていたようだったが、明日流産の手術で、今日の夜に再度その準備でここに来る必要があるようだった。

受付の人は何も言わなかったが、どことなく、妻に対する気遣いがあるようだった。

僕はただ、妻を支えないと、と強く思った。その時はまだ悲しくなかった。

 

病院を出ると雨が降っていた。雨の中タクシーが拾えそうな道まで歩いて行った。頭はあまり回っていなかったのかもしれない、何も考えずに歩いた。

しばらくするとタクシーが拾えた。行き先を告げると、感じの良い運転手さんが車を走らせてくれる。

タクシーに乗って座ると、一気に悲しさがやってきて涙が流れてきた。外が雨で濡れていたのが幸いして、恐らくそれほど泣いていることは外からはわからなかっただろうと思う。声を出さずに、タクシーの中で、ひまりと妻のことを考えながら僕は泣いた。

 

何がいけなかったのだろう、僕はもっとどうすればよかったのか、僕の行いの悪さで罰が当たったのか、ありきたりだがそんなことを考えた。当然ながら誰にも問を発していない以上、誰も答えてはくれなかった。

 

家に入ると妻と抱き合って泣いた。妻は思っていることを話した。

いくらでも話していくらでも泣けばいい、と思った。

妻はお腹の中のエコー写真を貰ってきていた、とても小さいものがそこには写っていた。それを見た時に涙の量が一気に増えた。これが僕達の子供なんだ、と思った。

 

少し落ち着くと流産について調べてみた。自分が思っていたよりもずっと流産の確率は高くて、10人に1人以上は流産になる、生涯で流産を経験する女性は40%近くになるという情報も書いてあった。

そしてその原因の多くは、染色体異常にあるということだった。ひまりも恐らくそうなのだろうという話が先生からあったそうだ。染色体の異常の要因は様々あるものの、健康的な男女であっても、それなりの確率で発生してしまう。そして大半の流産は母体がどうこうというよりは、胎児の染色体異常によって引き起こされるということだった。

この情報は僕の気持ちを軽くしたし、妻の気持ちも軽くなるだろうと思って彼女にもしっかりと伝えた。別に誰が悪いわけでもない、誰にでもそういう可能性はある。とても悲しいことだけど、ひまりは、誕生した時から、6週間の寿命だったのだ。

 

妻から聞くと、ひまりは6週間位の大きさのまま、もう心拍も聞こえないということだった。彼女の生は僕らが気づくか、気づかないかの頃に終わってしまっていたのだ。もっと声を掛けてあげればよかった。

 

明日は午前中から流産の手術だ。妻は婚約の時に送った指輪をつけていくと言う。彼女が持っている中で一番輝きのある綺麗な指輪だ。普段は使わず特別な日にしか付けない。ひまりが、綺麗な星になれるように、ということで一番キラキラした指輪をつけるということだった。

 

そして、明日11月2日をひまりの誕生日にしようと二人で決めた。水子供養なんかをするんじゃなくて、誕生日ケーキを買って、メッセージを入れてもらって、初めての子供のお誕生日をお祝いすることにした。

明日妻が手術を受けて、しばらく安静にしている間に僕が買いに行く。プレートに「ちびまりちゃん、お誕生日おめでとう」と入れて貰う。

今年だけじゃなくて、僕達が生きてる限り、ずっとお祝いしようと思う。変にそこに囚われるというようなことではなくて、ただ、記念日をお祝いする。ひまりに感謝して、お祝いする日にできればいい。

 

夜妻が寝てから、彼女のお腹に手を当てた。もう生きていないのかもしれないけど、ひまりが自宅で、彼女のお腹の中で過ごすのは今日が最後だと思うと、また涙が流れてきた。妻が寝ているので、声には出せなかったが、心のなかで、「生まれてきてくれてありがとう」と「大きく育ててあげられなくてごめんね。もっとたくさん話しかけてあげられなくてごめんね」と伝えた。

 

妻の鞄から、ひっそりと母子手帳を取り出し、トトロのカバーに包まれたそれを抱いて、また泣いた。中身を開いて、写真とを眺めた。妻は子供の名前と父親の名前を書き足していた。

母子手帳のページをめくると、生まれた後の注意や、想定される成長が書いてあった。ぱらぱらとそれを眺めながら、そこに至ることがなかったひまりのことを考えた。

 

そうして僕は今この文を書いている。何度もひまりと妻のことを考えて涙が止まらなくなった。鼻をかみすぎてヒリヒリするし、机の上にはティッシュが山積みになっている。

 

改めてひまりについて考える。少なくとも8月末から6週間、ひまりは僕らと一緒に生きていたし、今も一緒にいる。妊娠の診断が下る前からも、検査薬反応も出ていたし、きっと妊娠しているんだろうと思っていた。その時その時もそうだったし、未来の事を考えても僕達二人は幸せだった。

そして改めて命の大切さや、新しい生命が誕生するという奇跡の偉大さも知った。

もっと声を掛けてあげればよかったという後悔から、改めて今という時間のかけがえのなさを確認した。後悔のないように、今を精一杯生きよう、周りの人を、妻をもっともっと大切にしようという思いも深まった。

 

ひまりは僕達にとって初めての、掛けがえのない子、命だった。

 

ひまりは間違いなく僕達の初めての子供だ。そして、僕達はひまりの親なんだから、ひまりの分も幸せに生きなくてはいけないし、親として恥じないような生き方をしなくてはいけないと思う。

これから生まれてくる、ひまりの弟か妹は、ひまりの分まで大切にして、幸せになってもらえるように育てようと思う。そしていつか、ひまりのことを話してあげたい。

 

ひまりの命は本当にかけがえの無いものだったし、彼女は僕らの中でずっと生き続けるだろう。もちろん感情とかはまだないのかもしれないけど、それでもひまりにとって、何か少しでもいいことのあった6週間だと良かったと心から願う。

 

もちろん本当は生まれてきて欲しかったし、もっともっとひまりと接したかったし、大きく育って欲しかったし、色々な経験をさせてあげて、幸せに生きて欲しかった。でも、それがかなわないなら、せめて、ひまりが綺麗な星になれるように、という妻の思いに、僕も深く深く共感するし、そうなるといい。

 

ひまりのことは僕と妻にとってとても大きな出来事だったけど、僕らはこれからも生きていく。でも以前とは違って、僕らの心の中にはひまりがいる。常にそのことを大切にして、これからの人生を幸せに支えあって生きていこう、前を向いて明るい未来に、幸せな未来に進めるよう、しっかりと歩いていこう。

 

平成夢十夜 第四夜

こんな夢を見た。

 

僕も、周りの人々も、真っ白な防護服を全身に纏っている。そこには一部の隙もない。

歩くと特殊な生地が擦れる乾いた音がする。

服の中は非常に暑い、額から、脇から、背中から、じっとりと汗が流れ続けている。

湿気は外に出て行かないため、蒸し蒸しとした空気が重く、自分の周りにつきまとっている。

 

白い人々の中心には、ベッドに横たわった妻がいる。

「不治の感染症」それが2日前に妻に下った診断だった。

診断が下された時、妻は既に隔離されていた。

あまりにも残酷な現実と、不安と、寂しさに妻はただひたすら泣いた。

1日、泣いて泣いて泣き続けて、ようやく昨日落ち着いて会話ができるようになったのだった。

 

余命は1週間もないだろうということだった、実際、2日間に、妻の元気はみるみるうちに失われていった。昨夜から、咳に血が混じるようになった。

 

僕は全き無力な男だった。愛する妻が死んでいこうとしているのに、直接手をにぎる事もできない。妻もそれは望まなかった。家には小さな子どもがいる。彼女は、まだこの残酷な現実を知らない。

 

面倒を見に来た祖母に挨拶をして家を出た時、彼女は奇しくも家族の絵を書いていた。

顔と手しかない3人が、幸せそうに笑顔で手をつないでいた。

 

妻の目を見つめる。妻は口元を少しゆるめて笑顔を見せた後、激しく咳き込んだ。

 

瞬間、僕は防護服を脱ぎ捨てた、妻の元に駆け寄って、強く強く、その手を握った。これまで何度も何度も繰り返して握ってきた手だった。驚いた妻の目に、瞬く間に涙が溜まっていき、それはすぐに瞳からこぼれ落ちた。僕は赤く染まった彼女の口の周りを腕で拭うと、強く、長く口づけをした。両手を彼女の体に回し、力を込めて抱きしめる。彼女も僕の体に手を回す。

 

一度口を離し、彼女の目を見たまま、もう一度口をつける。その瞬間、彼女の目が閉じ、背中が震え、血の混じった咳が僕の口に飛び込んできた。

 

僕はその血を一気に飲み込むと、

「愛してる」

と伝えて彼女をもう一度、強く抱いた。

 

途端に全身の力が抜け、意識が朦朧とした。

 

娘が彼女とともに初めて家に来た日の光景が明るく頭に蘇った。

「幸せだね」

笑顔で妻が言う。

「幸せだね」

僕が答える。

「ずっと続くといいな」

少しだけ心配そうに彼女が言う。

「ずっと続くさ」

僕が笑って答える。そして娘の頬に、そして妻の口にキスをする。

娘が泣いた。妻が笑った。僕も笑った。

 

ふと、冷たい水が僕の額を打った。

「ごめんね」倒れた僕の顔を妻が覗きこんでいた。

 

僕は首を横に振ると、「愛してるよ」ともう一度、目の前の妻に伝えた。

知らない間に、僕も涙を流していた。時間が、とてもゆっくりと動いているように感じた。

 

遠くから娘の泣き声が聞こえた気がした。

目を閉じて、目を開けると、そこは公園の原っぱだった。日が赤く、沈みかかっている。

妻は遅めのお弁当を片付けながら、娘が這ってどこかに行こうとするのを止めている。

顔からは全く笑みが絶えない。

 

僕はそこから少し離れたところに立って二人を見ていた。

秋の風が強く吹いて、妻の長い髪の毛と緑の草と、遠くに見える大きな木の葉を揺らした。

その後で、黄色く染まった木の葉が舞い上がり、3人を包んだ。

 

僕達3人は、夕日に暖められた木の葉に埋もれ、体を寄せ合い、深い深い眠りについた。

平成夢十夜 第三夜

こんな夢を見た。

 

色白で髪の長い女が赤ん坊を抱いている。

生まれたばかりなのか、非常に小さく、男か女かもわからない。

赤ん坊は女の腕の中で小さな手を握ったり開いたりを繰り返している。

 

「あなたの子よ」

 

女がそういう。赤ん坊に顔を近づけてみた。

 

「目が見えないの」

 

赤ん坊の目は確かに閉じたままだった。「うー」とも「あー」とも取れる曖昧な呻きが聞こえる。

 

私はこの子に出来るだけ美しい音を聞かせてあげようと思い、海の波の音、風が木の葉を揺らす音、鳥が春の朝にさえずる音を鳴らした。

 

赤ん坊は体を自ら揺すった後、小さく微笑んだ。しかし、それもつかの間、今度は先ほどよりも大きな声で鳴き出した。

 

「耳も聞こえなくなったわ」

 

女は表情を変えずに言った。

 

それならばと秋の穏やかな日差しの匂いとほのかな金木犀の香りを漂わせた。

果たして赤ん坊は泣き止んだ。そのまま様子を見ていると静かな寝息を立て出した、小さなお腹が膨らんだり元に戻ったりをゆっくりと繰り返している。

20回ほど上下動を繰り返した所で、女が両の眉を顔の中央に寄せた。

 

「鼻も効かなくなったの」

 

涙が静かに私の頬を伝って、つま先の上に落ちた。冷たい、冷たい涙だった。

 

女は赤ん坊を強く抱きしめた。私は女のそばに寄って赤ん坊の手を優しく握った。暖かく、軟らかい手のひらだった。

 

赤ん坊は目を覚まし、にこやかに「あー」と言った

私はその子を幸と名づけた。

宝くじを買うっていうのは大人になったってことだと思う

以前宝くじについて

宝くじの期待値~金額的なものと心理的なもの~ - 万夜一夜物語


でブログに期待値について書いたが、自分でも先日とても久しぶりに宝くじを買ってみた。

僕は少額だけど当選の確率が高いものや、期待値の高いものよりも、とにかく当選金額が高い宝くじが好きだし、今後もし、同様に宝くじを買うことがあってもそういうものしか買わないだろうと思う。

10万円や100万円があたればもちろん嬉しい、たいした収入だ。でもそれだけ、
もし1億円以上の金額があたったら、それは人生が少し変わると思う。

サラリーマンの生涯年収が2億円~3億円と言われる中で、手取りで一気に数億円手に入れられる、というのは普通に生活していたらなかなかあり得ることではない。
もちろん誰にだって可能性はある、才能を開花させてアーティストになる、事業を成功させて収入を増やす、IPOで一気に大金持ちになる、投資に成功する・・・などなど

でもやはりほとんどの人にとっては、普通に生活をしていたら、生涯年収を超える収入を一気に手取りで手に入れる、ということはありえないことに近い。

だから、純粋な金銭的な期待値は大きくない、買えば基本的にはマイナスだと思っていても、自分の人生が変わる、という夢を見て、宝くじを買う。

逆に言えば、金銭的な期待値が低いのに宝くじを買うのは、ある意味、普通に生活していたらそんな大金手に入らない、と半ば諦めた状態であることが多いのではないか。
若くて、自分の未来に期待を持っていれば、そこに向かって努力したり、その成功の確率を高めるために投資をした方が、ずっと期待値としては大きい。

そこを、宝くじにお金を使う、というのは、損するのはわかっているけど、ひょっとしたら、自分の力では手に入らないような、何かを手に入れたい、という思いがあるんじゃないかな、と思った。

少なくても自分はある程度そうだ、もちろん自分の未来にも投資はするし、もっともっと努力する、世の中に価値を出したいし、収入だって増えるといい、でも宝くじに近い収入を手に入れられる可能性は、結構低い。

そう考えてしまったから、今回宝くじを買った。

ある意味自分に対する夢を諦めて、運によって平等にもたらされる夢にかけるっていうのは、大人げ無いようで、実は現実を知った大人になるっていうことなんじゃないか、と思った。

ちょっとだけ、お酒に飲まれるのと似ているな、とも感じた。

一人でチームの雰囲気を変えられる人

2018年アフリカW杯(ワールドカップ)の日本の初戦、残念ながら日本は1-2の1点差でコートジボワール代表に敗れてしまった。
日曜日の朝10時からだったし、実際に見て応援した人も多いと思う、僕もその一人だ。

本田のゴールは別にして、全般的に流れはあまり良くなかったと思うけど、それでも奮闘していた日本が一気に2点を立て続けに取られてしまったのは、コートジボワールのエース、ドログバが入った後だった。

ケガをしていたとしても、年齢を重ねていたとしても、やはりこういうヒーローは凄い、と改めて思った。個人プレーはもちろんだけど、それだけじゃなくて、彼一人が入ることで、チームも、試合の流れも、スタジアムのちょっとした雰囲気すら変わってしまったのではないか。

やっぱり英雄、リーダー、ヒーローは凄い、と改めて思った。

実は最近自分の部署にも、他社で輝かしい経歴と実績を持った人が入社してくださった。
ポジションは僕の部下、という形になって入るけど、自分よりもビジネスの力は圧倒的に上だと思うし、先にサービスを知っているというアドバンテージが薄れてきたら責任者を変わった方がいいんじゃないか、とも思っている。
(もちろんそうならないように、自分はサービスのことをもっともっと考えぬいて、成長し、成果を出していこうとはしている)

で、その人に入っていただいて、チームの雰囲気が少しずつ、変わってきていると感じる。
もちろん他にも要因はある、ずっと頑張ってきて、事業に上昇の兆しが見えてきているし、仕込んできたものが少しずつ前に進んでいる、いくつかの具体的な成果も出始めているときではある。

でもそれだけではない、やはりその方が入ってくださったことでチームの雰囲気が変わってきた、そう感じる。何より、僕の気持ちもその人からいい刺激を受けながら、以前以上に前向きになっているし、色々と相談もできるので心も落ち着く、かつ施策の確度も上げられていると思う。

苦しい状況であっても、圧倒的な実力と周囲への影響力、そして周りからの信頼感、
そういうもので、チームの流れを好転させられるような人間に自分もなりたいな、と思った。